川のほとりのこの街の名前を考えているとき

与謝蕪村の俳句をみつけました。

「淀船の 棹の雫も ほたるかな」

かつて淀川やこの堂島川にも

ほたるが舞っていたのでしょう。

本物のほたるの光をここに呼び戻すことは不可能なのかもしれません。

でも、かつて川とともにあったものを心に思い出すことはできるはずです。

きらびやかな光ではなく、ほたるのようなやさしい光で

川を照らす街になって欲しいと思い

「ほたるまち」という名前をつけました。

ネーミング:道面 宣久
      どうめん のりひさ
      TUGBOAT2/コピーライター
ロゴデザイン:古平正義
       こだいら まさよし
       FLAME/アートディレクター

この土地の歴史

大阪(大坂)が「天下の台所」と呼ばれた江戸時代、中之島周辺には全国諸藩の蔵屋敷が立ち並んでいました。ほたるまちの位置には、中津藩、長岡藩、秋田藩などの蔵屋敷があり、当時の茶碗や人形が出土しています。中津藩の蔵屋敷では福澤諭吉が生まれています。

明治時代になって官庁や学校用地、大正時代からは長く病院(のち大阪大学医学部附属病院)として市民に親しまれましたが、1993年の阪大病院移転後、空地の状態が続きました。

「ほたるまち」誕生

2003年、阪大病院跡地の再開発について「“水の都”復活につながる、魅力的な水辺のまちを創造する」という方針が定められました。UR都市機構が翌年にかけて行った事業企画コンペで事業者が決定し、「水都OSAKA αプロジェクト」として街づくりがスタートしました。そして2008年5月2日、「ほたるまち」が生まれました。

さまざまな要素がクロスするまち

「ほたるまち」は放送局・ホール・飲食店・住宅と多彩な表情を持ちます。

中之島 ・梅田・福島と、大きく表情の違う街のちょうど接点でもあります。

大都会の中心にありながら、川の自然を感じられる場所です。

「ほたるまち」は、そんな様々な要素がクロスする、新しいタイプの都市空間です。

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